歴史解説
アクティビティ②
1. 担当人物の人生に大きな影響を与えた法令を探してみてください。
2. 気づいたこと、疑問に思ったことをグループ内で話し合ってみてください。
アクティビティ②
後でメインに戻ったときに、グループ内で一人、人物紹介を1分間でお願いします
後でメインに戻ったときに、グループ内で一人、人物紹介を1分間でお願いします
どんな政策や法令がつくられたのか
• 1933 年 2 月 27 日、ドイツ国会議事堂が炎上する
• 「国民と国家を防衛するための大統領緊急令」により、非常事態が宣言される。
• ヒンデンブルク大統領は言論の自由、報道の自由、集会の権利を停止する。政府は政敵を告訴なしで逮捕し、政治団体を解散し、新聞を検閲することができるようになる。
• 「国民および国家の苦境除去のための法」を可決する。
・この法律により、ヒトラーは議会に諮らずに法案を提案し、署名して成立させることができるようになる。
• この法律は事実上、ドイツに独裁制を創設した。
・「専門職公務員の回復に関する法律」を公布
・この法律により、ユダヤ人やナチスの政敵は、学校、大学、政府の職などの公務員職から排除される。
・1914年8月以前にその職に就いていたか、第一次大戦に従軍したことがあるか、戦争で父親や息子を失った者は免除された
・ほとんどのユダヤ人弁護士は活動を禁じられた。
• 「学校および大学の過密防止法」を公布
•この 法律は、ユダヤ人学生は公立学校または大学の学生人口の5%を超えてはならないと規定した。
・多くのユダヤ人学生は公立学校を辞めて私立学校に通わなければならなくなる。
・ドイツの学校では、「アーリア人」の優位性とユダヤ人の劣等性に関するナチスの人種的思想を教えた。
• 「遺伝性疾患を持つ子孫の予防法」を可決する
• この法律は、政府が身体的または精神的障害のある人々に子供を産めないように強制的に不妊手術を行うことを許可する。
• この法律に基づき、1934 年 1 月から1945 年 5 月までに 40 万人のドイツ人が断種される。
・「編集者法」はユダヤ人がジャーナリズムを職業とすることを禁じた。
• ドイツ宣伝省は「人種的に純粋な」編集者やジャーナリストの登録簿を保管した。そのため新人記者は登録義務があり、ユダヤ人ではないことを証明する必要があった。
・新聞は「国内外で第三帝国の力を弱める」ような情報を掲載してはならない。
・この法を破ったジャーナリストは強制収容所に送られる可能性があった。
• 「危険な常習犯罪者に対する法律」を可決
・ナチス当局者が囚人を「危険な常習犯」と判断した場合、たとえ刑期を無事に終えていたとしても、政府は囚人を無期限に拘留する権限を与えられた。
• 囚人は刑務所から釈放される代わりに、強制収容所に移送されることがしばしばあった。
• エホバの証人の出版社であるものみの塔聖書冊子協会を禁止する。市町村の法律ではすでに禁じていた。多くの信者は,法に違反し、信仰を持ち続け、文書配布を続けた。
・エホバの証人は、ヒトラーやナチ・ドイツに忠誠を誓うことも、兵役に就くことも拒否した。
• 証人たちは迫害と逮捕に直面した。投獄から解放されるためには、ナチ・ドイツへの忠誠を誓うこのような書類に署名する必要があったが、ほとんどが拒否した。
• 男性の同性愛はすでに非合法化されていたが、現行法がさらに改変される
• この改正により、性的接触とみなされる行為が拡大され、それらの行為に対する処罰が強化された。
・同性愛者の男性は、「ドイツの価値観」を腐敗させ、人口を増やさないとみなされたため、迫害された。レズビアンの場合は、子供が生まれる可能性があるため、通常は標的にされなかった。
• この法は「ドイツ人」と「ユダヤ人」を定義する
・ユダヤ人は血統と家系図よって特定される人種である。この法はユダヤ教を宗教または文化としてはi認識しなかった。
・この法の下で、ユダヤ人は市民権を失い、「国家の臣民」となる。
• この法と「ドイツの血とドイツの名誉の保護に関する法律」は「ニュルンベルク人種法」と呼ばれる。
※「臣民」=君主の支配の対象となる人々
・帝国内務大臣ヴィルヘルム・フリックは、1935年9月15日の帝国市民権法の拡大を発表する
・フリックは、市民権法はロマとシンティ(ジプシー)およびアフリカ系ドイツ人にも適用されると述べた。
・ロマ、シンティ、アフリカ系ドイツ人は市民権を失い、「アーリア人」であるドイツ人との結婚は認められなかった。
※シンティ・ロマ
何世紀にもわたりヨーロッパに住む。シンティは主に西及び中央ヨーロッパ、ロマは東及び南ヨーロッパのグループを指す。ヨーロッパにおいては偏見や差別にさらされてきた歴史があり、ナチ政権下では大量虐殺の犠牲となった。「ジプシー」や、ドイツ語では「ツィゴイナー」と呼ばれていたが、差別的な響きを持つ言葉である。
• ユダヤ人と非ユダヤ人の結婚を禁止する
・「混血人種」カップル間の性的関係も違法とした。この犯罪は「人種の恥辱(Rassenschande ラッセンシャンデ)」と呼ばれた。
• この法律と「帝国市民権法」は「ニュルンベルク人種法」と呼ばれる。
・「家族名および個人名の変更に関する法律」は、「ユダヤ人の名」を持たないユダヤ人に、男性は「イスラエル」、女性は「サラ」というミドルネームを付けることを義務付けた。
・1939 年 1 月 1 日までに、すべてのユダヤ人は新しいパスポートまたは新しい名前が記載された身分証明書を取得することが求められた。これらの文書には「J」という文字が付けられた。
・1935 年 9 月 15 日の帝国市民権法に対する「第一政令」が公布される
・この規則により、1人または2人のユダヤ人の祖父母の子孫であるドイツ人は「混血」とみなされた。ユダヤ人の祖父母が3人以上いる人はユダヤ人として分類された。
・「混血」には投票と公務員の職に就くことが許可された。
・第一次世界大戦に従軍したドイツ系ユダヤ人は、1933 年 4 月 7 日の法律からの免除を失う。彼らは年末までに公務員の職を退職しなければならなかった。
・1939年の秋、ヒトラーは任命された医師に「慈悲の殺人」を行う権限を与えるメモに署名した。この文書は、障害者の大量殺害である「安楽死」プログラムに参加した医師を保護することを目的としていた。
・ナチスの安楽死計画は、計画された住所がベルリンのティーアガルテン通り4番地だったため、「T-4作戦」と呼ばれ
た。T4作戦はドイツ初の大量殺人計画であった。歴史家は、ナチスの安楽死計画の一環として25万人が殺害されたと推定している。
• 「ユダヤ人の印」はナチ・ドイツに特有のものではなく、長い歴史があった。近代以前から、ユダヤ人はバッジ、ワッペン、メダル、その他の身分証明書の着用を強制されることがあった。これらの命令には、ほとんどの場合、反ユダヤ法が伴っていた
・ナチ・ドイツはユダヤ人に印の着用を強制した。ユダヤ人を識別するための方法として、ダビデの星の形をした黄色いバッジが使われた。
・ナチ占領化によって導入は異なる。ポーランドのユダヤ人は、1939 年からバッジの着用を強制されたが、オランダのユダヤ人は 1942 年まで着用する必要はなかった
アクティビティ③
なぜドイツの大多数の人は
抵抗しなかったのか
抵抗できなかったのか
グループ対話