ベルリンからユダヤ人移送が始まった日
こんにちは。ベルリン在住のスタッフみきです。
記録的な猛暑が続いた夏が過ぎ、あっという間に秋、というよりもう冬の入り口というような寒さになってきたドイツです。
先日、10月18日、私はとある駅へ向かいました。
降り立ったのはベルリン西端に位置するグルーネヴァルト駅。
ここには、現在は使われていないホーム「17番線」があります。
知らないで歩いていると、きっと「何だここ?」と思うはず。
階段を半分ほど登ってみると、壁に答えが書いてあります。
「1941年から1945年にドイツ帝国鉄道の列車によって死の収容所へ送られた人々を記憶して」
1998年1月27日 ドイツ鉄道(株)建立
ここはホロコーストを記憶する場所。
階段を登りきると、当時使われていたホーム跡地にずらりと、鉄のプレートがはめ込まれています。
プレートの一つひとつをよく見ると、列車がここから出発した日付、移送されたユダヤ人の数、目的地が記されているのがわかります。
これは最初のプレート。「1941年10月18日 / 1251人のユダヤ人 / ベルリン − ウッチ」
さて、なぜ私がこの日にこの駅に来たのか、もうそろそろわかってきましたね。
そう、78年前の10月18日、この日にベルリンからユダヤ人を乗せた最初の列車が、ポーランドのウッチ・ゲットー(ユダヤ人強制居住区)へ向かいました。
これを「ベルリンからユダヤ人移送が始まった日」だとして、毎年、10月18日にこの場所で、犠牲となったユダヤ人を想起するための追悼式典が行われています。
今回はそれを見に行ってきたというわけです。
まず行って驚いたのが、記念碑周辺の警察による厳戒態勢。
というのも、この前の週にドイツのハレという街で、シナゴーグ(ユダヤ教礼拝堂)を狙った極右思想の人物による銃撃事件が起きていたからです。
2名の死者を出したこの事件はドイツ全土に衝撃を与え、まだその余韻が社会全体に残っています。
式典では、このハレの事件を受けてのドイツ連邦議会議長の言葉が印象的でした。
「この国に住むユダヤの人々が安心して暮らせなくなっていることは恥ずべきことです。…(略)…『人間の尊厳は不可侵である』これはドイツ基本法(ドイツにおける憲法)の第一条です。いま、私たちは、それが守られないときにどのような規模で人間の尊厳が侵されうるのかを、自分たちの歴史から知っています。だからこそ、歴史から学び成長することが我々の責任なのです。」
(これは私の個人的な意見ですが、いま憲法を変えようとしている日本の政治家さん達にぜひお伝えしたい言葉だな〜と思いました。)
式典では、ベルリンから移送されたユダヤ人について授業で調査したという地元の高校生によるスピーチもありました。学校でこんな学習ができるなんて羨ましい。。。
式典のあとは、追悼の白いバラが記念プレート上に次々と供えられていき、あっというまにいっぱいに。
このプレートは全部で186枚。当時ベルリンから出発した186回すべての列車が記憶されています。
移送に使われたのは貨物列車で、一両に人々が座れないほどぎゅうぎゅうに押し込められ、トイレもなく、水も食べ物もないなか、移動は何日間にも及び、移送中に多くの人が亡くなりました。
600万人が犠牲になったといわれるホロコースト。そのうち5万人以上がベルリンからのユダヤ人でした。この大規模な虐殺は、その過程に多くの組織的な協力なくしてありえませんでした。そのうちのひとつが、死の収容所へ人々を運んだ鉄道会社です。今日、ドイツ全土を走る電車を管轄しているのはドイツ鉄道(Deutsche Bahn)ですが、その前身はナチ時代のドイツ帝国鉄道でした。現在のドイツ鉄道がその歴史を、自身のホロコーストに加担した過去として、こうした形で記憶しているのです。
悲しい記憶が埋め込まれているグルーネヴァルト駅17番線。
ひらひらと落ち葉が舞う秋の景色のなかに、その悲しみがより一層深く感じられました。