忘却に抵抗するオーストリア
こんにちは、ベルリン在住のみきです。
いまオーストリアのウィーンに来ています。
今回の目的の一つは、ある特別展示を見にいくこと。それがこちら。
ホロコースト生存者のポートレート展です。その名も、「GEGEN DAS VERGESSEN(忘却に抵抗する)」。
ドイツ系イタリア人の写真家で映画製作者のルイージ・トスカーノ(Luigi Toscano)氏によるもので、氏はこれまで300人以上のホロコースト生存者の姿を写真に収め、そのポートレートをヨーロッパ各地やアメリカで巡回展示してきました。この5月の一ヶ月間は、ウィーンにその展示がやってきていたのです。特にオーストリアにゆかりのある生存者の巨大なポートレート80枚が、王宮や劇場、市庁舎のあるウィーンの中心部を環状に取り囲むリング通り沿いにずらりと並べられています。
しかし、私がこれを見に行こうと思っていた日の前日、こんなニュースが目に飛び込んできました。
ポートレートの顔の部分が何枚も、夜中のうちに何者かによってナイフで切り裂かれていたのです。
犯人は特定されていませんが、おそらく極右の反ユダヤ主義者によるものだということ。
この知らせを聞いたトスカーノ氏は「言葉がない。オーストリア、一体何をしているんだ。」とコメントしました。それもそのはず、これまでウクライナ、ドイツ、アメリカですでに展示が行われてきましたが、こんなことが起きたのはオーストリアだけ、しかもこれが3回目ということらしいのです。最初は展示が始まった5月7日から数日後に展示にナイフで傷付けられた跡が発見され、それから数週間後には、ナチのシンボル鉤十字の落書きがあったとのこと。でもここまで大規模な損傷は初めてだということです。
しかし、この悲しい事件に嘆いているだけのオーストリア市民ではありませんでした。
発見された日の午後、雨のなか、引き裂かれたポートレートに人々が集まり縫い付け始めたのです。
さらに、NPO団体や劇場協会、ムスリム青年組織の若者たちが、「Wir passen auf(私たちが見守る)」「Gegen das Vergessen(忘却に抵抗する)」を合い言葉に、展示最終日まで24時間監視するとメディアに向かって宣言しました。
と、ここまでをニュースで知った私は、その翌日に実際に現場を見に行ってきました。
見つけた。何枚もありました。どれも大きく切りつけられていて、縫われた跡が痛々しい…。
展示の間には複数のテントが立っていて、ボランティアで監視をする若者たちがいました。雨が降っているからか、みんなテント内に待機している様子。
「合い言葉」もいたるところに見つけられます。
雨が止むと、展示の間に一定間隔で並べられたイスに座って監視体制に。通りかかった人が、「ニュース見ました。すごいですね、頑張ってください〜。」と声をかけています。なんとなく周りの会話を聞いていると、事件のことを知っている人たちが多い印象でした。「あ、これが縫われたやつだ〜」と、被害にあった写真を前に立ち止まる人々。もしかしたらこの事件をきっかけに、注目を集めて見に来る人が増えた可能性もあります。
ボランティアで監視をしている団体のFacebookには、「食べ物や飲み物の差し入れありがとうございます。みなさんの応援が、希望と力になります!」と感謝の言葉が投稿されています。彼らのアクションに賛同したたくさんの市民がサポートしている姿が想像できました。
祝日だった昨日の夜遅く、私は用事を終えてリング沿いを走るトラムに乗りました。展示があるところを窓から見てみると、昼間よりもたくさんの人たちが見張りをしている様子がありました。特にここ数日の夜は急に冷え込んで寒いなか、おそらくFacebookでの「より多くの人が必要です!」という呼びかけの投稿に答えた人たちが集まったのでしょう。なんだか、この連帯感に感動しました。
この事件をきっかけに、犯人からすれば皮肉にも、オーストリア市民の「GEGEN DAS VERGESSEN(忘却に抵抗する)」姿が際立ったのではないでしょうか。当初は企画展のテーマであっただけのこの言葉が、最終的には人々の行動によって体現されたことで、社会の記憶は自分たちの手で守らなければいけないんだという一つの教訓のようなものを感じざるをえませんでした。
私自身、学生時代にウィーンに留学し、オーストリアの「過去の克服」をテーマに卒論を書いたこともあり、今回この場に居合わせられたことはとても感慨深いものがありました。
★下記のリンクから、より詳しい情報やリアルタイムの活動の様子や写真が見られます。
(参考にした新聞記事)
(監視アクションをしている団体のFacebookページ)
劇場協会 Nesterval
NPO団体 Caritas
ムスリム青年組織 Muslimische Jugend Österreich