訪問授業を見学して
初めまして。今年の1月からココロでアルバイトをさせていただいている松田と申します。現在大学ではポーランド語を勉強しています。
さっそくですが、2月12日にK高校での訪問授業を見学させていただいたときのことを書きたいと思います。
訪問授業の内容は「ハンナのかばん」で、対象は高校三年生でした。高校生は世界史を一通り学習しているので、第二次世界大戦前後のヨーロッパの様子、特にユダヤ人にかかわる出来事についてもすでに知っている生徒さんも多くいるようでした。訪問授業は石岡さんのいくつか質問から始まり、徐々にユダヤ人について、ナチスについて、第二次世界大戦時のユダヤ人迫害について、ハンナのかばんと石岡さんの出会いについて、ハンナについて、そしてその家族についてと話が進んでいきました。実際に当時の写真や動画もみることができ、より当時の様子を想像しやすかったのでは、と思います。
授業の最後に2人の生徒さんが質問をしてくださいました。
まず「傍観者から一歩踏み出せる勇気とは?」という質問。当時のユダヤ人迫害に対して、積極的に迫害した人、逆にそのユダヤ人を積極的に助けた人、そして助けることはせずに迫害されている様子を見ていた人がいました。このことに関連する質問でした。これに対して、石岡さんは「助ける/助けないという二択ではなく、第三の道」という返答をされました。ユダヤ人迫害問題に関していえば、積極的に助けることによって自らの命が危険にさらされる状況にありました。積極的に助けることができないにしても、例えば、隠れているユダヤ人をそのまま隠れさせてあげる、隠れていることを黙っている、このような行動もありうるのではないでしょうか。
私もなかなかさっと手を差し伸べられないときがあり、自分のその気の利かなさ、足らなさなどをあとから後悔することが多々あります。ただ、あとから自分の行動を振り返ってみて、少しでも反省し、次に何かの行動がおこせるようになれればと思っています。
次の質問は「本当に強い人とは?平和的に解決でき、自らの意見を言える人なのではないかと思うが、周りの威圧があるなかで自分の意見を言えるようになるためには?」という内容でした。それに対する返答としては、「一緒になぜそうなったのか?を考える時間をもつことができれば」というものでした。進んで解決に持っていくことができなくても、相手となぜトラブルが生じたのかなど、原因を探るなかで解決へ進む、互いに歩み寄ることができるかもしれません。
トラブルが起こったときに白黒はっきりさせようとすると、どうしてもお互い譲れなくなり、さらに関係が悪化してしまうこともあると思います。そうしたときに、責任問題を棚上げする、というわけではないのですが、それよりもまずそのトラブルの結果生じてしまったことへの対処を考える、責任追及するのではなく、純粋に原因について話し合う、などという行動も考えられるようになりたいです。相手との対話を続けながら、問題の核心に触れていき、自分のことも振り返りつつ、反省できたらと思います。
「ハンナのかばん」の物語を通じて、その背景としてのヨーロッパにおけるユダヤ人迫害の歴史を通じて、高校生が自分のことと結びつけながら、またはその歴史を客観的にみながら、いろいろなことを考えている様子が印象に残りました。