記憶を歩く。in ブダペスト(前編)
こんにちは、Kokoro事務局のみきです。ブログでは初めましてですね。
昨年からKokoroでお仕事をさせていただいています。
特に自分の興味のあるテーマは、「記憶」についてです。
この記事でも、それについて書いてみたいと思います。
さて先日、初めてハンガリーの首都ブダペストを訪れました。
ハンガリーと聞くと、まずどんなことを思い浮かべるでしょうか?
ブラームスのハンガリー舞曲?ドナウ川?オーストリア=ハンガリー帝国?豚ペスト?
実は私もこの国について知っていることはその程度でした。
しかし、ある方との出会いをきっかけに、ハンガリーについて学ぶことになりました。
Kokoroでここ数年お付き合いのある、日本在住の唯一のホロコースト生存者であり、
先日のイベント「ホロコースト国際デー2018 in 東京」にもお招きした、
ヤーノシュ・ツェグレディさんです。
ヤーノシュさんがブダペストご出身ということで、
ハンガリーのナチ時代の歴史、ホロコーストとの関係について調査したんです。
そのうちしだいに実際に現地を見てみたいという気持ちが湧き出て、
この度、本当に行ってきました!
まず、私のお気に入りの一枚から。
「ドナウの真珠」とも称されるほど美しい都、ブダペスト。
中心にドナウ川が流れ、それを挟むブダとペストという二つの街から成り立っています。
街の多くの部分が世界文化遺産に登録されていて、世界中の多くの観光客が訪れます。
しかしここも、第二次世界大戦中には激しい空襲によって廃墟となった都市の一つです。
そのため、自分たちは戦争の犠牲者だという意識を持つハンガリーの人々は少なくありません。
そんなドナウ川の岸辺を歩き、対岸に一番美しい町並みが見えるところにさしかかると、
なんだか人だかりが…。よく見ると足元に不思議なものが並んでいます。
靴、靴、靴…
そしてその靴には花が添えられています。
近くにはこんな説明がありました。
「1944年から45年に、矢十字党(Arrow Cross)の兵士によって、ドナウ川へと射殺された犠牲者を記憶して ー2005年4月16日」
「矢十字党」というのは、当時ナチスを信奉していたハンガリー人のファシスト政党で、
1944年10月にナチスの後ろ盾で権力を握ると、次々にユダヤ人を連行し、殺害していきました。
「ホロコーストはドイツ人によって行われた」とつい考えられがちですが、
実は、ナチ・ドイツが周辺諸国へ侵攻していっとき、
特に伝統的な反ユダヤ主義が根強かった東ヨーロッパの地域では、地元の反ユダヤ主義者たちが率先して、時にはナチス以上に残酷なやり方で、ユダヤ人を迫害、虐殺したんです。
ハンガリーだけでなく、ポーランドでも、リトアニアでも、ウクライナでも…
つまり、ここに並ぶ靴は、ハンガリー人自らの手によって行われたホロコーストの一つの史実を記憶し、犠牲者を追悼するものなんです。
ふむふむ、ハンガリーは自国の負の歴史に向き合っているのね…
すごいじゃない。
…と言いたいところですが、
実はもう一つ、
近年大きな論争を巻き起こしている、もう一つの記念碑があるというのです…
(後半に続く)