アンネ・フランク特急?
「アンネ・フランク」と名付けられた学校は世界14ヶ国に 215校もあるそうです。公園や通りの名前になっていることも。日本では「アンネのバラ」が平和のシンボルとして学校などで大切に育てられています。ドイツ鉄道がこの度、新しい特急列車に「アンネ・フランク」号と名付けることを発表し議論を巻き起こしています。
ホロコーストの当時、ヨーロッパの鉄道網は、ナチスのユダヤ人絶滅計画を実行するために重要な役割を担いました。各地からユダヤ人が貨車に詰め込まれてアウシュヴィッツなどの収容所へ送られました。
アンネ・フランクは1944年9月2日、貨物列車に1,000人を超える人々と一緒に詰め込まれて、アウシュヴィッツに送られました。車両の中にはトイレ代わりのバケツが置いてあり、鼻をつく異臭が充満していました。座って体を休めることもできず、立ったまま丸三日間も揺られていきました。途中で息絶えてしまう人もいました。せめて我が子だけでも救いたいと、赤ん坊を貨車から外へ投げた母親もいました。近隣の住民が拾い上げて我が子を救ってくれるかもしれないという希望にかけて。
このような歴史を考えると、「列車」にアンネと名付けることは「不適切」「無神経」という反対意見が噴出しています。一方で、「(ホロコーストの)記憶が毎日、ドイツ全土を走るわけだから、今こそ必要なことだ」という声も。(ドイチェ・ヴェレ2017年11月2日)
発端は、ドイツ鉄道(DB)が新しい特急の名前を公募したところ、19,400件の回答があり、「アンネ・フランク」はとても人気が高かったとのこと。「アンネ・フランクの記憶を軽視する意図はなかった。我々は歴史的な責任を認識しているからこそ、忘れないためにあえてこのような決断をした。その結果、感情を害してしまったのならば申し訳ないと思う」と声明を出しています。現在もう一度内部で話し合いをするうです。
皆さんはどう思いますか? 記憶をつなぐこと。傷ついた人の痛みを思いやること。その方法やカタチが、私たち一人ひとりに問われている気がします。
アウシュヴィッツ収容所の貨物列車 ©Kokoro
ベルリン、グルーネヴァルト駅のホロコースト記念碑 ©Kokoro
1943年8月4日 99人のユダヤ人がベルリンからアウシュヴィッツへ移送されたことが刻まれている