記憶の文化を育む 第5回
2020年11月29日(日) 開催報告
朗読劇「追究 ー アウシュヴィツの歌」より
1963年、フランクフルト。戦後ドイツの歴史認識を変えたとも言われる「アウシュヴィッツ裁判」。敗戦から十数年がたち、経済も持ち直してきた西ドイツで、「過去を暴くな」という声もあがる中、裁判は始まりました。自らの手で、自分たちの国の犯罪に向き合い裁こうとしてきたドイツ。戦後75年の2020年、20代の役者たちがアウシュヴィッツ裁判で語られた言葉と向き合いました。
参加者アンケートより
アフタートークで演者の方々のこの劇への想いを聞けたことまで含めて、とても面白かったです。劇中で役がどんどん変わるせいで、演者が役になりきってしまうのではなく、様々な立場に感情移入しながら劇について考えたというコメントが印象的でした。(20代)
被告と証人と判事などの役が入れ替わるのは原作の指示か、あるいは演出者の考えかわかりませんが、誰もがこのような恐るべき犯罪を犯しうるということを象徴するように思いました。被告を責める検事も、状況が変われば同じことをしたのかもしれない、そう思うとこれは他人事ではなく、見ている私たちも含めた人間の在り方を問う劇のように思いました。(60代)
アフタートーク内で、被告が言っていた「知らなかった」というような言葉はは、自分たちも発したことがあるような言葉ですよね、というようなことをおっしゃられていて、ハッとしました。私はこの時代の話を読んだり聞いたりするとき、ナチ側の人間の話になると、自分がこの環境に置かれたとき、こうならない自信がないなと思うのですが、今生きているこの時代でも、そういう可能性はあるのだということに気付かされました。常に考えることをやめてはいけないなと思います。(20代)
悲惨な状況を加害者らが淡々と説明していく様が不気味でした。彼らが自分と同年代でそのような経験をしていたこともショックです。加害者にも、それぞれの立場があったのでしょうが、「命令でやったから仕方ない」という責任逃れの積み重ねが虐殺を生んだと思うと恐ろしいです。政治を自分に関係ないこととして捉えがちな自分達も、他人事ではないなと感じました。(20代)
こういう配信スタイルで観劇したのははじめてでしたが、新鮮でした。少なくとも前の席の人の頭を気にしないで観られるだけでも、舞台に集中できてよかった。機会があればまた観たいと思った。(60代)
本を読むまでには中々重たい腰が上がらなかったのですが、朗読劇ということで、気軽に参加することが出来ました。朗読劇にすることで、「様々な人」の声が集められて作られた作品だということを感じることが出来ました。次は本をしっかりと読んでみようと思います。(20代)
「自分の責任ではない」「言われた通りにやっただけ」「自分で考えることを放棄して」現代の社会に置き換えた時、果たして自分は違うのか?と辛くなりました。大小様々な社会問題がありますが、私の世代は「自分の大切にしている世界」が侵されないかぎり、気持ちが動いても行動は起こしません。(勿論自分も含めて)今日の配信をみて、感じたこと、今の政治のこと、本当はこうなった方がいい社会になると思いつつも「きっと誰かがやってくれる」「私が今の生活を犠牲にしてまで動く必要はない」と、明日からも今日までと変わらない毎日を過ごす。いつまで、ぬるま湯のような幸せが続くのかなんてわからないのに。あくまで〈傍観者〉でいる自分も、時代が違えば立派な被告人なのではないかと、とても怖くなりました。ここまで気付いていても、まだ、何も行動を起こせないのです。(20代)
フランクフルト・アウシュヴィッツ裁判についてもっと勉強してみたいと思うと同時に、日本人も自分たちの問題としていま一度考えねばならないと痛感しました。俳優の方々による朗読にも目に見えぬ力を感じました。(30代)
全く過去の話とは思えなかった。そういう社会、団体に属しているのは自分かもしれないという危機感が増し、沈黙を強いることは自由や人権、民主主義を簡単に破壊するんだなと感じた。(30代)
今日はチャレンジあふれる公演・イベントに参加させていただき有難うございました。劇場で同じ空間を共有し感じるものとは違うのですが、法廷を傍聴しているような感覚で画面越しであることが、かえって効果的でおもしろい作品に仕上がっていたように感じました。大谷賢治郎さんの演出、とてもよかったです。一人で受け止めるにはあまりにも重いものがありましたが、アフタートークでは役者さんたちのこの作品への取り組みや想い等を聞くことで、自分の中でもようやく反芻できたように思います。先日うかがったドイツ各地で行われている「政治演劇フェスティバル」のようなものを日本で開催するときには、今回のような作品の上演&アフタートークをやれたらいいですね。そういう意味でも、未来につながる実験になったのではないでしょうか。コロナが落ち着いたら、全国各地でこの作品が上演され、アフターには参加者がリアルに語り合えたらいいですね。改めて、言葉の力、演劇の可能性を感じました。演劇で「市民」を育む、次の一歩を。(60代)
ドイツ文化に興味関心があり、大学からの紹介で今回の鑑賞会に参加させていただきました。朗読劇の鑑賞自体が初めてだったのですが、声と表情だけでここまで当時の人々の心境を表現できるのか、と感動しました。決して他人事ではないナチスドイツの負の歴史の事実を胸に今後も学んでいきたいと思います。(10代)
アウシュヴィッツ生還者の生々しい証言と、被告の冷めた発言を、実際のフランクフルトでの裁判を想像しながら聞きました。写真や文書による説明と比べ、演劇による記憶のアピールは、ずっと強く、深く心に響くなと感じました。(50代)
若い方々の力を感じた。(60代)
生々しい史実(?)として捉え、これまで漠然と抱いていた印象を改めました。今を生きる者として何ができるのか考えようとしますが、自分なりの解答が見当たりません。(50代)
何となく視聴したアフタートークでしたが、役者の皆さんの様々な視点から言葉に、本当に多くの気づきをいただきましたし、その鋭さにうなりました。(40代)
全てが実際にあったことで、人間の狂気を改めて感じました。 二度と起こしてはいけない事実を、色んな形で語り継いでいかなければならないと思います。 意外にも感情を込めすぎないで、淡々とセリフが進んで行く様が反対に恐ろしさを感じました。(50代)
現在を生きる我々にとって、そう遠くはない悲惨な過去と、日々の日常の中であり得た、又はこれから先あり得るかもしれない悲劇的な未来を体感するものでした。(20代)
あなたにとって「歴史を知る」ってどういうことですか?
上演後に役者さんたちに聞いてみました
(13分)
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