記憶の文化を育む 第1回
第1回 2020年10月17日(土) 開催報告
転換期にある記憶の継承 ナチ強制収容所記念館の現場から
ベルリン郊外にナチ時代初期につくられた強制収容所ザクセンハウゼンの記念館があります。ここでガイドを務める中村美弥さんをお迎えして、ドイツの歴史教育の現場で感じることや、ご自身の研究テーマである収容所内の性暴力とその被害者に対する戦後補償についてご講演いただきました。
\参加者アンケートより/
強制収容所内の性暴力の問題について、今までタブー視されたり、沈黙されてきたことで明らかにされてこなかったと聞きました。ナチ時代の障害者に対する迫害も長い間明るみに出なかったと聞いています。声なき声をどのように聞き取るのか、これはホロコーストに限らず虐げられた弱者の声を聞く作業として、現在の問題にもつながると感じました。 (50代)
わたしはホロコーストをユダヤ人の迫害ととらえていました。ロマ、身体障害者、政治犯という方々が含まれていることは知っていましたが、少数のケースだと思っていました。今回、ザクセンハウゼンの、アウシュビッツなどとは、異なる特徴を知って驚きました。また、ドイツの戦後補償の枠に入れなかった不幸な女性たちがいたこと、また同時に彼女たちを積極的に支え、補償が得られるよう助けた方々にも敬意を表したいです。(40代)
沈黙された歴史をどのように残していくのか、歴史に対する姿勢など大変勉強になりました。本当にありがとうございました。(30代)
現地でガイドをされている方の経験を通してドイツの歴史教育観に触れる、という切り口がすばらしい! 日本の私たちが学ぶべきことだけでなく、世界の流れ、ドイツにおける課題もお話いただき、俯瞰的(正しい意味で!)な視座を持つことができました。進行に関して、石岡さんがちょこちょこ質問をされたことが良いリズムを生んでいたと思います。(30代)
若い方の参加が多いことは本当に素晴らしいですね。Kokoroさんに感謝です!(40代)
色々と考えさせられるイベントでした。現代にも続く問題は、現代もタブー化され、語りにくい状況が作られているのではないかと思いました。(10代)
前半の話で現在のドイツでは、命令に背く権利も与えられていて、自分の良心に従って良いという訓練を受けているとのお話を聞いて、素晴らしいと感じました。後半の収容所内の売春宿の話は日本でも戦地で戦意高揚を落とさないために、慰安所を兵隊の基地に作って居たとの事と重なりました。女性の人権や尊厳を踏みにじる行為と。その当事者は差別を世間から受ける事とその当時の辛い記憶を呼び覚ます事の抵抗感で公に出来ない思いも解らなくは無いと思いました。(60代)
国境を超えて、ホロコーストの歴史に向き合い、ドイツの人たちにともに考えることを呼びかけるガイドという仕事をされている中村さんのような若い人がいることに感激でした。アウシュビッツで主に日本人をガイドされている中谷剛さんはある意味草分けだと思いますが、中村さんがいま体験し吸収されていることを共有させていただくことで、私たちが次に学べることがあるのではないかという予感がします。2時間はあっという間でした。またの機会にぜひこの続きを聞かせていただきたいです。また記憶を語りたくない人の記憶をどう伝えるのかという最後の問いかけは心に残りました。75年経っても語られない歴史、沈黙された歴史があることを肝に銘じたいと思います。そして、自国以外の国のコロナ禍での教育活動に支援をしてくれるドイツという国の懐の深さにも感激しました。(60代)
随時チャットで質問を受けながら、という構成がとてもスムーズでよかったです。中村さんが「外国人として」ガイドをされる中で、ネイティブではないご自身のドイツ語を子供たちから笑われることがある、目の前で学ぶべき人権や差別の歴史と外国人ガイドである自分への態度のギャップに考えさせられることがある、というエピソードがとても印象に残っています。ドイツはホロコーストの問題をまずドイツの問題として、そして人類普遍のものとして認識しているからこそ、このガイドの多国籍化も進んでいるのだなと感じました。後半の性暴力の歴史は、とても衝撃を受けました。ナチス将校相手ではなく、囚人(特に「ドイツ人」の)向けだったということも...戦後お一人しか訴え出ない、という現状にも闇の深さを感じました。全世界でベストセラーになった『アウシュビッツのタトゥー係』にも、チルカというアウシュヴィッツ内でナチス将校の性接待を強いられていた女性囚人が登場します。(容姿がよい女性が選ばれ、綺麗な服と食料を与えられ髪も長かった、という設定でした)あのキャラクターは創作ではなかったのだと思い出しました。小説の中では、戦後ソ連からナチスへの協力者として裁かれたと描かれており、彼女を主人公にした続編も出版されていると聞きました。この小説もきっかけに、収容所における性暴力が今後議論されているのかもしれませんね。コロナ禍のなかだからこそのオンライン研修を多く企画していただき、ありがとうございます。例年以上に参加することができており、満足しております。(30代)
ガイドの仕事は「未来の人たちが歴史にアクセスする道筋をつくる立場」という表現に共感しました。性暴力の被害者のうち、声をあげることができたのは、ナチに反抗したことが明確でそのプライドを保つことができた人であるというのは印象的でした。訴えることの正当性があってようやく声を上げることができるという性被害告発の難しさは、残念ながら普遍的なものだと思いました。「連帯できない人の声は簡単にかき消される」という言葉も心にささりました。”沈黙した歴史”にじっと耳を傾けることも忘れないようにしたいと思います。戦争の歴史をいたるところに刻んでいるドイツにも戦時性被害のモニュメントはないのですね。黒川開拓団の乙女の碑、その説明文の建立は貴重なものだということが改めて分かりました。 石岡さん、いつも学びの多いオンライン講座を企画してくださりありがとうございます。(50代)
性と人間の尊厳というのは密接につながっている。現在に至るまでの性の在り方、不均衡な関係性にも大きく関わることだと思った。性の問題の複雑さの中でドイツでも日本でも向き合い方を持て余している。けれど、日独で、それ以外の加害の歴史への向き合いかたの違いはなんだろう? 歴史の捉え方や社会の考え方、習慣の違い? その秘密が知りたい。(50代)
貴重なお話を伺えました。ありがとうございました。収容所での性暴力の話は衝撃でした。利用していたのは、収容されていた男性と聞いて驚くとともに、構造的暴力としてあり得るとも思いました。そして、日本の岐阜県黒川分村開拓団の性接待のことを思い出しました。黒川分村の遺族会では、満州で終戦を迎えた後、現地の襲撃から団員を守ることをソ連兵に依頼。その見返りに女性を性接待に出すことになりました。そのおかげで、団員の生還率は高かったと言われています。戦後1983年差し出された乙女のために地元神社に「乙女の碑」が建立されました。しかし、その記憶は公に語られませんでした。現在、4代目の遺族会会長は戦後生まれ。その方は、乙女の記憶を伝えなくてはならないと、昨年11月、乙女の碑の碑文を完成されました。碑文には、『私たちがどれだけ辛く悲しい思いをしたか。私らの犠牲で帰って来られたことを覚えておいてほしい。』と刻まれました。そして、その除幕式では、会長自ら乙女の皆さん(存命の方は出席されていました)に謝罪をされています。とても稀なケースではありますが、私たちにとって希望と勇気を与えられるものでしたので、ご紹介させていただきました。(50代)
また参加したいと思いました。(20代)
なかなか聞けない話だったので、すごく興味深かったです。自分自身割と最近ドイツに興味を持つようになったので、考えるいいきっかけになったと思います。自分は記憶の語り方を学校教育の視点から考えていきたいので、もう少し勉強していきたいと思います。今回はありがとうございました。(20代)
大変勉強になりました。「連帯できない人の声は簡単にかき消される」という中村さんのお話に強く胸を打たれました。戦後75年を迎え戦争体験の記憶の継承が喫緊の課題となっていますが、継承すべき歴史とは一体何なのか、改めて考えさせられます。わたし自身「継承する」ということに重きを置いてしまいがちですが、当事者ではないからこそ、継承すべき歴史を選びとっているいうことに自覚的でありたいと思いました。(20代)
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